【経営者インタビューVol.1】株式会社赤坂柿山 代表取締役社長 川合寛妥氏
メンズジュエリー「gian」
デザイナーの田中友美です。
新しい企画として経営者の方の「生き方」や「こだわり」を
ご紹介する新コーナーがスタートです。
第1回目は、今年で設立50年を迎えられた
株式会社赤坂柿山の川合寛妥(かわいひろやす)社長です。
赤坂柿山は東京赤坂に本店を置き、
贈答用として愛用者も多い「高級おかき」の
製造販売を手がける企業です。
赤坂柿山と言えば
「和紙で1つ1つ個包装された高級おかき」。
米菓にはなかった高級感を打ち出し、
他の米菓との差別化を図り、
百貨店や駅ビルなど首都圏を中心に展開しています。
そんな川合社長は、
イベントやパーティーではいつも人気者。
「川合社長はいつも大人気ですね」
と言うと
「お土産におかきを持っていく時は人気者だよ」
と笑って答えられる様子に
「ヒトが好き」と公言する社交性と
人を楽しませるユーモアがありながら、
自身を客観的に捉える冷静さも垣間見えました。
赤坂柿山の「なりたち」と「こだわり」
東京ブランドのイメージが強い赤坂柿山ですが、
創業は意外にも富山県だそうです。
寛妥氏のお祖父さん 川合宜之氏が
「類ありて比なし」の理念の元、
大正13年に始めたおかき屋(当時は和菓子全般)
「日の出屋」がそのルーツ。
「おかき」とは「もち米」で作られた米菓のこと。
ちなみに「せんべい」はごはんと同じ
「うるち米」で作られており、原材料が異なります。
富山や金沢の一部の地域では
「おかき」のことを「かきやま」と呼ぶそうで、
赤坂柿山の由来はそこからきています。
「おかき」と言えば庶民的なイメージだった頃、
創業者の次男、川合寛二氏(寛妥氏のお父さま)は
贈答用の高級おかきを目指し、昭和47年に「柿山銘菓」を分社化。
問屋を通しての卸売から直営店に転換し、
徐々に高級おかきとしてのブランド価値を高め
百貨店での取り扱いが始まりました。
「おかき」といえば透明のビニール包装が主流だっだ時代に
赤坂柿山は和紙をビニールコーティングした高級包装へ変更。
当時のお客様からは、
「せんべいにこんな高級な包装をするなんて勿体ない」
とのお叱りの投書が届いたそうです。
しかし、このパッケージにこそ赤坂柿山のこだわりと、
目指すべきブランドの姿が写し出されています。
もちろんパッケージだけではなく、
「材料」や「製法」にも一流のこだわりが。
このようなパッケージや材料、
そして売り方へのこだわりこそが
赤坂柿山のブランド力を高めています。
社長の思いを社員に伝える「コメントシート」
川合社長は、自社店舗の接客販売力を向上するツールとして
「コメントシート」を現場の社員と交換しています。
現場の社員が接客時に感じた
お客様の印象や会話の内容などを書き込んだもので、
すべてに目を通してコメントを返しているとのこと。
お客様満足度の向上と、それに伴う顧客単価のアップ
といった直接的な効果はもちろんありますが、
社長が直接コメントを返すことで、
「会社の大切にする思いや経営理念を標語で語るよりも、
はるかにそして確実に伝えることができる」
と川合社長は語っています。
今後の赤坂柿山
コロナ禍で人々の生活様式も変化しました。
今までは贈答用を主軸に商品展開してきましたが、
今後は更にブランド力を高め、
ギフト米菓ブランドとしての信頼を守りながら
「日常の贅沢なとっておきのおやつ・おつまみ」
としての成長を図りたい。
と語っておられます。
「米菓でお客様の生活を彩り豊かにする」
という理念の元、今後は赤坂カフェや
米粉使用の和菓子・パン等、
関連商品の展開も考えているとのこと。
今後も赤坂柿山の展開が楽しみです。
最後に川合社長の日常
川合社長は、
いつもカバンを持たずに本だけ片手に現れます。
勧められればどんな本でも読まれるそうで、
本のジャンルにも特にこだわりはなし。
多くのヒトと出会うことを楽しむ以外は、
車も小物もファッションも必要以上のモノを所有したり、
何かに縛られることは好まないそうです。
失敗談や苦労話をお聞きしたところ
「あまり苦労してないかも」
とのお答えが返ってきました。
困難に直面した際も、スタッフとミーティングをしていると
不思議と「乗り越えられる」という自信と勇気が生まれる。
とのこと。
「ヒトが好き」という川合社長の
困難を困難と思わないメンタルの強さ、
そして常に冷静な思考はここでも垣間見られます。
川合社長、この度はインタビューに
ご協力いただきありがとうございました。
赤坂柿山のこだわりのおかきはこちらから
↓
【Facebook】 株式会社赤坂柿山 | Facebook
【Instagram】株式会社赤坂柿山(@akasakakakiyama) • Instagram写真と動画